プロレスファンの皆さん、こんにちは。
今回は、プロレス界にインディー
という言葉を生み出した
大仁田厚選手
についてご紹介していこうと思います。
全日本プロレス時代は、ジュニアの
チャンピオンとして第一線で戦って
こられたのですが、ひざのケガから
一度は引退を余儀なくされ、何度も
這い上がったまさに不死鳥のような
選手なのかもしれません。
では、大仁田選手の現在を含め、ご紹介
していきましょう。
大仁田厚の現在は?引退しているのではないのか?
まずは、プロフィールからご紹介します。
- 本名:大仁田厚
- 身長:181㎝
- 体重77㎏
- 生年月日:1957年10月25日
- 出身地:長崎県長崎市
- 所属:フリー
- スポーツ歴:野球
- デビュー日:1974年4月14日
今現在、大仁田選手は現役選手として
活動しています。
しかし、普通のプロレスラーでは
ありません。
大仁田選手曰く、
ボランティアレスラー
として活動をされています。
ですから、引退はしていません。
といいますか、引退はしているけど
復帰をしているということのがしっくり
くるかもしれないでしょう。
ボランティアということですから、
プロレスをすることによっての給料は
発生しないということです。
いろいろ調べていくと、プロレスでの
収入はないのですが、大仁田選手自身
のグッズ販売における収入から出る
利益が大仁田選手の収入でやっている
ということのようです。
ただし、海外でプロレスを行う際には、
プロレスラーとして活動するという
ことです。
そこには理由があって、
「海外ではプロレスラーを引退していない」
だからということだそうです。
ちなみに、2019年でプロレスラー
デビュー45周年を迎え、7月13日
に記念大会を行っています。
プロレス以外の活動においては、
2001年の第19回参議院議員選挙
の比例区において46万票を獲得して
初当選し、国会議員としていじめ問題、
青少年育成などに取り組んでいました。
また、海外でパキスタンの難民キャンプ
を訪れ大統領と会談を行ったうえで
復興祈願プロレス大会も開くなど活躍を
していました。
ただ、国会議員は1期で引退してその後は
特に政治的活動を行うことはありません
でした。
しかし、2018年4月に
佐賀県神埼市市長選挙に出馬したのですが、
惜敗をしています。
敗戦したときの発言で、4年後の市長選挙にも
挑戦するということを宣言をし、
神埼市内に株式会社大仁田屋を立ち上げ、
神埼市に生活の基盤を置いています。
また、今何かと話題の多い女子プロレス団体の
スターダムの中のアイドルユニットである
スターダム★アイドルズの
プロレスプロデューサーに就任しています。
これは、大仁田選手の電流爆破を経験
した中野たむ選手とのつながりがある
ようです。
大仁田厚は余命宣告を受けている!?
大仁田選手が余命宣告を受けていると
いうのは本当なのでしょうか?
調べてみると、人間の命としての余命
宣告を受けたということではなく、
大仁田選手ご自身の選手としての余命を
自分で宣言しているということでした。
2014年9月12日の東京スポーツのホーム
ページに公表されたものによると、
自分自身の余命を残り3年1か月であると
告白したということです。
一か月で2度も電流爆破マッチを行うことも
あった当時の大仁田さんからしてみれば、
当然ながら満身創痍だったはずです。
ご自身でもそんなにできる時間はなく、
デスマッチだけで駆け上がっていけば、
身体が持ちはずがない。
「(昔からの古傷である)膝のケガも
よくなっていないが、地方などには
電流爆破を見たことがないという人が
非常に多くいるので、自分の生きざま
を届けたい。」
というような趣旨の発言をしています。
しかし、こうも続けていて、
「還暦で電流爆破終わりと思っている」
と語っていました。
ただ、ここまで引退と復帰を何度も
繰り返してきた大仁田選手はこういう
発言をしても信用されないだろうと
考えていることは事実でありながらも、
ただ「還暦電流爆破」を機に一線を
引くとも発言をしています。
デビュー40周年と還暦が重なったからで
あるということらしいのですが、
なんといっても膝の具合は想像を絶する
ほどのひどさであるということも間違い
なさそうですので、けじめをつけたと
いうことなのでしょう。
しかし、さすがは大仁田選手です。
良くも悪くも結局は裏切られてしまう
ことになるのです。
前述したように、
2018年にボランティアレスラーと
してではありますが、見事に復帰を
していますね。
大仁田厚は今まで何回引退をしているのか?
最初は、全日本プロレスの時のもので、
今でも影響してしまっているといわれる
膝のケガにより1985年1月に
引退をしています。
2度目は、1989年にFMWを旗揚げし
数年たった1995年5月にハヤブサ選手
との対戦で引退をしますが、この時は
大々的に1年間をかけて引退記念ツアー
と銘打って行っていました。
3度目は、ミスターポーゴさんの引退試合
の相手になるという一試合限定ということ
であったのですが、そのまま残ることに
なり、その後ごたごたでFMWから追放され、
その後新日本プロレスに上がるように
なったころです。
結局2005年3月に明治大学の
卒業式に出席した後、プロレス卒業試合
として行われました。
4度目は、2006年4月に今度こそ
一試合限定で復帰戦と引退試合が同時
に行われた形です。
5度目は、2007年4月、夕張市の
チャリティー興行を最後に引退
しています。
6度目は、少し後になるのですが、
2010年5月の自主興行で引退を
していますが、この時点で現役復帰も
匂わせていました。
そして、直近の7度目は、2016年に
ファイヤープロレスを旗揚げしたの
ですが、2017年10月に引退興行
を行い引退をしました。
2018年に先述の通り7回目の現役
復帰を果たすのですが、試合のペース
はデスマッチを行っていることもあり、
年々減少傾向になっています。
まとめ
今回は、大仁田厚選手を見ていただきました。
正直、大仁田選手のプロレス人生は
賛否両論は必ず起きていて、いわゆる
メジャー団体を見ている人からしてみれば、
あんなのプロレスじゃないと思われる人も
いらっしゃるでしょう。
反対に、大仁田選手からプロレスファンに
なったという方もいらっしゃることも
事実です。
過日、CSの番組で蝶野正洋さんと
対談形式の番組の中で、蝶野さんは
まさに最初は前者の立場でしたが、自身
も電流爆破を経験して、これもプロレス
であると認める発言をしています。
これからもお体を大切にしながら
大仁田選手の生き様を見せて
いただきたいです。