プロレスファンの皆さん、こんにちは。
今回は、アメリカのマレンコ道場出身
で、カール・ゴッチさんやボリス・マ
レンコさん、そして藤原喜明さんの血
をを引き継ぐ、UWF系とは少し異な
る遺伝子を持っている石川雄規さんに
ついてご紹介していきましょう。
石川雄規のこれまでの足跡
まずは、プロフィールからご紹介しま
す。
- 本名:石川豊彦
- 身長:180㎝
- 体重:95㎏
- 生年月日:1967年2月8日
- 出身地:神奈川県小田原市
- 所属:フリー
- スポーツ歴:総合格闘技、レスリング、柔道
- デビュー日:1992年4月19日
猪木さんにあこがれて、大学を卒業後、
単身アメリカにわたってマレンコ道場
でトレーニングを積み、約2年後に日
本に帰国をしプロフェッショナルレス
リング藤原組の入団をします。
1992年にデビューし、翌年には空
手の正道会館主催のグローブ空手大会
に参加するなど積極的にいろいろなと
ころに参戦をしていき、1995年に
は新日本プロレスのヤングライオン杯
争奪リーグ戦に出場もしていました。
石川さんが出場した大会は第6回大会
で、石川さんの他には中西学、永田裕
志、大谷晋二郎、石澤常光、高岩竜一
(敬称略)の計6名での総当たりリー
グ戦が行われて中西学選手が優勝して
います。
1995年11月には、藤原組のスポ
ンサーから所属選手の大幅なリストラ
の提示を受けてしまい、それに反発す
る形になって藤原組長を除くすべての
選手を引き連れる形で格闘探偵団バト
ラーズを設立します。
翌1996年に旗揚げしたのですが、
正直スター選手およびスター候補すら
いない状態だったので、なかなか表舞
台に出てくることも決して多くありま
せんでした。
この当時は、PRIDEが盛り上がっ
ていたときで、そこに所属していたア
レクサンダー大塚さんがPRIDEに
参戦し活躍するようになってくると、
大塚さんはもちろんのこと、団体自体
の注目も徐々に高まってくるようにな
ってきました。
旗揚げから2年半の1998年11月
には初の両国国技館大会を開くように
までなります。
しかし、2001年9月のプロレスリ
ングZERO-ONEで開催される
「火祭り」の協賛およびリーグ戦の一
部をバトラーズで開催することを発表
したのですが、そこで尊敬する猪木さ
んからの話があり、全てをキャンセル
することになってしまいました。
そこには、PRIDEに関与していた
猪木さんとPRIDEに参戦している
選手をZERO-ONEに参戦しても
らうために無断で交渉を行っていた橋
本真也さんとの間で対立が背景にあっ
たからとされています。
いろいろな理由もあったのでしょうし、
その旨を石川さん本人の言葉として公
表していたということもあったのです
が、猪木さんの利益を優先させてしま
ったことにより、ファンや所属選手か
ら離反を招いてしまうことになってし
まいました。
最後には、「バトラーズのリングは、
火祭りリーグ戦開催以前から火祭りだ
ったと自負している」というような表
現をしてしまったため、批判はより一
層大きくなってしまいました。
猪木さんは、自身は関係していなく逆
に迷惑している旨の発言をしています
し、三沢光晴さんは筋が通っていない
とか、自分のケツも拭けないのかとい
うような発言まで出てしまう始末.
業界内外ありとあらゆるところから批判
を浴びることになってしまい、結果と
して10月26日に活動停止になって
しまいます。
2002年6月に活動再開をするが、
全面再開ということではなく、一部再
開という方があっているといえるくら
いの状態でした。
女子部を発足させるなど変化を見せた
りもしていましたが、選手が引退する
ことで自然消滅したりとあまりに活動
停止時の悪い印象が大きすぎたのか、
いい方向に進むことはありませんでし
た。
細々と活動はしていたのですが、結果
として2011年11月5日の新宿
FACE大会を最後に解散することに
なります。
石川雄規と華名との関係は?
石川さんが、バトラーズ解散後にカナ
ダでプロレスを教える立場になってい
たとき、華名選手(今のWWEスーパ
ースターのASUKA)が直弟子でい
ました。
華名選手は、石川さんをトレーナーと
して一目置いているといわれています。
また、MAKAI所属の朱里選手も石
川さんのトレーニングを受けていて、
確実に自身の遺伝子を受け継いでいま
す。
石川雄規の試合映像や入場曲は?
では、試合映像から見ていきましょう。
https://www.youtube.com/watch?v=CXjtyBWDiAU
川田利明 マウナケア・モスマン
vs 新崎人生 石川雄規
華名&藤原喜明
vs石川雄規&カルロス天野
石川さんと華名選手の師弟対決!
入場曲は、
吉田兄弟の「OLD/NEW」です。
まとめ
今回は、石川雄規さんについてでした
が、いかがだったでしょうか?
バトラーズが当時は結構勢いもあり、
自主興行もまずまず行われていました
し、それなりの盛り上がりも見せてい
ました。
しかし、ZERO-ONEと猪木さん
とのある意味板挟み状態にあってから
縮小傾向は否定できません。
結果としては、その言い方は適切では
ないかもしれませんが、その失敗がバ
トラーズ解散までにおける最後の最後
まで尾を引いてしまったのかもしれま
せん。
今は日本に帰ってきて、PTAの会長
や各種講演依頼も多くあり、日本で忙
しくしているようですし、試合数は少
なくなって入るものの、現在も現役と
しても活動をされています。
また、私たちも石川さんの試合を見る
ことができるときには、あの時の気持
ちをぶつける昭和的プロレスを見せて
もらえるかもしれません。