プロレスファンの皆様、こんにちは
皆さんは上田馬之助さんをご存知でしょうか?
もしかしたら若い世代の方は
もうご存知ないかもしれませんね。
今回は❝まだら狼❞と呼ばれ恐れられた
上田馬之助さんを特集します。
上田馬之助はいい人だった?

出典元:https://ameblo.jp/jumpwith44/entry-12119283145.htm…
日本人レスラーとして悪役の先駆者と言える
上田馬之助さん。
タイガー・ジェット・シンとのコンビは
全盛期にはプロレスファンからそれはそれは
憎まれたものでした。
当時の悪役といえば本当に悪人だと
思われてましたからね(笑)
まずはその悪辣ぶりからご覧ください。
https://youtu.be/o7duNKRDaPU
シンがサーベル、上田さんは竹刀を使い
時には仲間割れしてましたが、悪役の
名コンビでした。
でも実は上田さん、リングを降りると
悪役どころかとても義理堅く
当時のプロレス界で1,2を争うほどの
常識人でした。
エピソードとしては上田さんがまだ
日本プロレスに在籍していた当時、
愛知県からとある少年が入門志願しました。
上田さんはその少年を優しく諭し、
その後、少年が入団した後も
色々と面倒をみたそうです。
米良明久という少年はやがて中堅レスラーとなり
渡米、そしてザ・グレート・カブキとして
日本に逆上陸をするのです。
また、若い頃から忙しい合間を縫っては
児童養護施設を慰問していた上田さん、
いつも持ちきれないほどのお菓子や
お土産を持ってきてあげたので子供たちは
「上田のおじちゃんが来た!」と
大喜びしていました。
子供たちにとっては上田さんは
タイガーマスク以上のヒーローだったと
言えますね。
ある時は深夜に出待ちしていた中学生に
盗撮されたのに気づくと「こら!」と
叱りはしましたが、その場で中学生の
自宅に電話し「私が責任もって送りますから」と
中学生の親に伝え「写真を撮りたいときは先に
相手にお願いするんだぞ」と諭し、本当に
自宅まで送り届けたのです。
この時にはサインもしてあげたようで、
上田さんはとても筆達者な方で、
サインをする際も墨と筆を使って
してました。
また、暑中見舞いや年賀状も必ず
上田さん自身の筆による手書きで
書いていたそうです。
これだけでも、とても義理と
人情を大切にされていた方だとわかりますね。
義理人情を大切にしていただけに
クレバーなG.馬場さんとはどうしても
合わなかったようです。
A.猪木さんが日本プロレスを追放される
きっかけを作った張本人と言われる
こともありましたが、これも猪木さんが
どうこうよりも猪木さんを取り巻く人間に
危険を感じ密告したのが真相とも
言われています。
そんな上田さんが選手として終止符を
打ったのは突然のことでした。
当時、参戦していたIWAジャパンの
巡業中、移動していた車が事故を起こし、
一時は死の淵を彷徨い、結果としては
下半身不随になってしまいました。
運転していた営業の方は亡くなったそうで
病院でその報を受けた上田さんは
「俺が死ねばよかった!なんで若い奴が
死ななきゃいけないんだ」と
嘆き悲しんだそうです。
上田さんの訃報を聞いた時、
多くの人が深く悲しんだと言います。
これだけ人を大事にしたからこそでしょうね。
上田馬之助の最強伝説

出典元:https://www.youtube.com/watch?v=eJJpqJH-I2Q
当時のプロレスファンの間では
永らく上田馬之助さんやラッシャー木村さんが
ガチンコでやれば最強だという噂が流れ、
ある意味で都市伝説と化していました。
でも、その片鱗を垣間見せる日が来たのです。
相手は前田日明さんでした。
前田さん率いるUWF勢に対し、
新日本正規軍に味方した上田さん、
イリミネーションマッチで前田さんと
相対します。
その際に前田さんが放ったキックを
防御もしないで平然と何発も受けました。
最後はハイキックでダウンはしましたが、
前田さんのキックを受けるその姿は
「この若造が」と顔つきで言っているようでした。
それから10年以上経過しFMWに参加した際も
大仁田さん曰く「まるで子ども扱いされた」
らしいのです。
大相撲と柔道のバックボーンがある
上田さん。
ガチンコで試合すれば紛れもなく
かなり強かっただろうと思います。
まとめ
出典元:https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_…
最後はこちらをご覧ください。
皆さんは何を思うでしょうか。
晩年は事故の影響でほぼ寝たきりだった
上田さん。
それでも人を気遣う優しさを失くすことなく
最後まで愛され続けました。
決して派手な試合や派手な技を
使うわけでなく、むしろ悪役ファイトで
存在感を示す上田さんでしたが、
本来は寝技を中心としたテクニシャンだったと
思います。
悪役に徹するために自分の得意な流れも
封印せざるを得なかった上田選手。
どうか安らかにお眠りください。
そして時折、若い連中の悩みを聞いてください。