引退後レスラー

高野拳磁の現在や名言!試合動画や入場曲!結婚はしている?

プロレスファンの皆さん、こんにちは。

今回は、かつて新日本プロレスで活躍
していた高野拳磁さんをご紹介してい
きたいと思います。

高野拳磁のこれまでの足跡


まずは、プロフィールからご紹介しま
す。

  • 本名:高野俊二
  • 使用されていたリングネーム:高野拳磁
  • ジャイアント・ドスカラス
  • ザ・グレート・ゼブラ
  • スーパーニンジャ
  • 高野俊二
  • 身長:200㎝
  • 体重:120㎏
  • 生年月日:1964年12月8日
  • 出身地:福岡県北九州市
  • デビュー日:1981年12月8日

高野拳磁さんは、兄弟でプロレスラー
でした。

お兄さんは、のちにマスクマンのザ・
コブラを名乗っていたジョージ高野さんです。

デビューは新日本プロレスで、デビ
ュー戦も蔵前国技館大会ということ
もあってかなり会社からも期待をさ
れていたのではないかとみられます。

しかも、最近の新日本プロレスのフ
ァンの方からしてみると、デビュー
戦は先輩相手であれば負けてしまい、
同期の場合は時間切れ引き分けとい
うのが通例のように思われている方
も多いのではないかと思いますが、

高野さんはデビュー戦でいきなり勝

を挙げています。

その後本当にすぐといってもいい
(1982年のはじめ)タイミングで、
共栄ボクシングジムから新日本プロ
レスにボクシング世界ヘビー級王者
を誕生させたいという計画が持ち込
まれてその白羽の矢が立ったのが、
高野さんでした。

その後本格的なトレーニングに入る
ことになるのですが、諸般の事情で
そのプランは中止になってしまい、
プロレスに再度復帰してまもなくカ
ナダのカルガリーへ武者修行に行く
ことになりました。

2年後の1984年、長州力さんらの
離脱によって日本人レスラーの選手
層が薄くなってしまったことなどか
ら、帰国することになります。

その時には、未完の大器としてセミ
ファイナルやメインイベントなどに
抜擢されるなどしていたものの、対
戦成績は著しくないことが多く、外
国人レスラーには1分少々で敗戦な
んてこともあり、かなり苦い経験
していました。

しかし、当時ブルーザーブロディさ
んにはかなり気に入られていて、通
算4度のシングルマッチを行ってい
たのですが、後半の2回は、ブロデ
ィさんからのリクエストで実現した
という逸話もあります。

その後、カルガリーハリケーンズを
結成したり、再度海外遠征に行った
時には、スーパー・ニンジャという
マスクマンに変身し、マサ斎藤さん
のパートナーになっていたこともあ
ります。

帰国後、カルガリーハリケーンズは
解散することになって、全日本プロ
レスに所属することになり当時の2
代目タイガーマスク(三沢光晴さん)
らとともに「決起軍」を結成するも、
ジャイアント馬場さんから「全然決
起しないから」という一言であっと
いう間に解散の憂き目にあいます。

しかし、馬場さんは高野さんの素材
には期待していて、ジャンボ鶴田さ
んとのタッグを積極的にマッチメイ
クしていたともいわれています。

全日本離脱後は、天龍さんらとSWS
に移籍して、新日本から移籍してき
た兄のジョージ高野さんとパライス
トラを結成します。

1992年には、現在右足の切断から
義足を装着してリハビリに励んでい
る谷津嘉章さん、新日本の最強兄弟
タッグともいわれるGoDのお二人の
実父であるキングハクさんが持って
いたSWSタッグ王座をジョージさん
とのタッグで奪取もしました。

そこからは、紆余曲折ののち、ジョ
ージさんとPWCを設立することにな
るのですが、兄弟仲の険悪などが原
因で、ジョージさんが離脱してしま
うのですが、これは高野拳磁さんの
団体経営に不満があったからといわ
れています。

そうなってしまうと、団体経営もう
まくいくことはなく、他の選手も離
脱してしまい観客数も伸びることも
なくなるのは自明で、一人残ってし
まう高野さんは、デスマッチ路線に
行くなどなんとかこの状況から抜け
出そうとするが、後の祭りで、苦悩
の時代が続くことになってしまいま
す。

その後も複数のインディー団体に参
加することになるのですが、徐々に
プロレス界からはフェードアウト
るような格好で、プロレス界におい
ては目にすることもなくなっていま
すが、本人からは引退表明は2019
年現在でもされていません。

高野拳磁の現在は?


高野拳磁さんは、プロレス界ではあ
まり見かけることもなくなっていて
も、デリバリーピザのピザーラのCM
に出演したり、ドラマ・映画・Vシネ
マなどにかなりの本数出演していた時
期もありました。

しかし、2006年ごろまでは映画な
どに出演していたものの、その後から
アメリカにわたって、実業家として
現地に法人を立ち上げたといわれてい
ます。

高野拳磁には名言がある!?


高野さんはその時々において数々の
言(迷言!?)を残しています。

旗揚げに参加した団体を旗揚げ戦で離
脱して自主興行を行った際には、「ま
た、飛び出しちゃったよ~ん!」と発
言。

所属レスラーにギャラを払わなかった
際には、「俺だってカナダにいた時に
はノーギャラだったんだから、これく
らいでガタガタ言うな!」と今では
ラック企業の代名詞のような発言も行
っています(決して名言とは言えませ
んが)。

その他にも「俺は来年30だぞ、ジジ
イだぞ!今しかないんだ」、「気持ち
いいなぁ」などなどキリがありません。

高野拳磁の試合映像や入場曲は?


まずは試合映像からです。

1989年7月22日
小橋建太VS高野俊二
全日本プロレスの若手の登竜門的大会
のあすなろリーグ戦の一試合です。

1990年9月29日
福井市体育館SWSプレ旗揚げ戦での
トーナメント戦が行わている試合に高
野さんが参加しています。

ちなみに、この実況はめちゃイケのナ
レーターで有名な木村匡也さんです。

入場曲は映像などでは残っていません
でした。

まとめ


高野さんは、どの団体に所属していて
もそのほとんどにおいてトップなどの
首脳陣から大きな期待をされていまし
た。

しかし、これは有名な話ですが、期待
はされても究極の練習嫌いは最初から
最後まで悪い意味で貫き通されていま
した。

ただ、賛否両論はあるとは思いますが、
ひとつの大きな芯をもっているという
点では、これもプロレスラーなのかも
しれません。