みなさまこんばんは。今回は星野勘太郎さんを特集します。
昭和の新日本プロレスを代表するレスラー星野勘太郎さん。
「突貫小僧」のニックネームで、目の覚めるようなスカイブルーのパンツとパンチパーマ。
170cmと小柄ながらも、自分よりも大きなレスラーに果敢に突進していくスタイルで
活躍しました。
山本小鉄さんとのタッグ「ヤマハブラザーズ」は新日本プロレスで数々の記録と伝説を
残しまし、また、「ビッシビシいくぞ!」の名フレーズとともに魔界倶楽部の総裁として
一世風靡した姿も記憶に新しいかと思います。
2010年に肺炎によって67歳という若さで帰らぬ人となってしまいましたが、
今回は星野勘太郎さんの在りし日の伝説を紹介していきたいと思います。
星野勘太郎さんの伝説がすごい!
(出典元)https://middle-edge.jp/articles/15O35
高校時代はボクシングにのめり込んだ星野勘太郎さんは、
喧嘩したいが為にプロレスラーになったとのことです。
好きな喧嘩を仕事にしてしまえるだけの強さをお持ちだったのはすごいことです。
小学生から「スカッとするから」と1日3回の喧嘩を怠らず、強そうなお兄さんに
因縁をつけ、裏に連れて行くなど、純粋に喧嘩に打ち込む。
勝てそうな人じゃなく、敢えて「強そうな相手」に喧嘩を売るところが、なんとも男らしいですよね。まさに喧嘩ざんまいの日々ですね。
また山本小鉄さんとのタッグ「ヤマハブラザーズ」としてテキサスを転戦していたとき、
タチの悪い観客からナイフで頭を刺されました。
絶壁頭の為、ナイフは運良く後頭部と皮膚の間で刺さり、
そのままその観客をボコボコにしました。
刺す観客も観客ですが、頭にナイフが刺さったまま殴りかかるだなんで凄すぎるとしか
言えませんね。いくら時代が時代とはいえ、そんな観客がいる中で試合する方も
よっぽどの精神力だと思います。
ちなみに翌日は絆創膏を貼っただけで試合に出たそうです。これまた凄い!
UWF軍との対抗戦でも前面に立った星野は、
あの前田日明を相手に乱闘騒ぎを起こしました。
テレビ中継もない地方大会のタッグマッチで、星野勘太郎さんが前田にガチのパンチを
食らわせたところ、前田は“もっとこい”と挑発。これに星野がブチ切れて、
試合後にデッキブラシを片手に控室まで殴り込みに行ったそうです。
キレたら地方だろうがどこだろうが関係なく突っかかる、
まさに「突貫小僧」たる所以ですね。
それでも星野勘太郎さんは前田の喧嘩っ早い性格は気にいっており、大変可愛がって
いました。
前田も星野勘太郎さんの事は尊敬していたようで、星野勘勘太郎さんが亡くなった際、
花を送り前田なりの恩返しをしたそうです。
結婚して息子がいるの?
(出典元)https://sp.njpw.jp/38890
それでは星野さんの結婚について探っていきます。
しかし、 まったくといっていいほど情報がありません。
結婚情報どころか息子の情報すら発見することができませんでした。
昔は今と違ってネットがなかったから、情報が出回らないうえに、
星野勘太郎さんのイメージダウンの恐れもあって、仮に結婚してても公表しなかったの
かもしれないですね。
息子がいるとの噂もありましたが、 確証はありませんでした。
でも「煙のないとこに噂は立たない」ということわざがあるくらいだから、
きっとどこかに息子さんはいるんだと思います。
外道なの?
(出典元)https://blogs.yahoo.co.jp/bruno_sammartino1966/62039551.html
これまでの星野勘太郎さんの喧嘩伝説から、あまり良いイメージを持たれない方も
いるかと思います。
もしかしてこの人はムカついたら誰でもボコる外道なんじゃないかな?
と思ってる方もいるかもしれません。
しかし、そんなことはありません。
プロレスに対して誰よりも愛を注いでいたのが星野勘太郎さんです。
星野勘太郎さんが亡くなった時に天山広吉がコメントしていました。
星野さんは、自分が入門した若手当時、まだ現役バリバリでいらっしゃった。
山本小鉄さんと同じくらい厳しい方で、試合のあといろいろアドバイスもいただきました
し、食事や飲みにもよく連れてもらいました。お世話になりましたね……。
(中略)自分たちも尊敬してましたし、いろんなことを勉強させてもらった。
魔界倶楽部の総裁時代、
「ビッシビシいくからな!」はプロレス界の流行語になりました。
その総裁というキャラになったのも、当時の新日本の厳しい状況から、
現役レスラーに「喝」を入れるため、自らが盛り上げ役をかって出たという
「プロレス愛」がそうさせんじゃないかと語る人もいました。
星野勘太郎さんの最後の相手を務めた「外道」は自身の本で、
星野勘太郎さんこそプロレスラーだ。と語っていました。
「プロレスへの心がないと、ファンのハートに波風なんて起こすことはできない。技じゃないんだよ。泥臭い言い草になっちまうけど、やっぱりファイティング・スピリットを見せないとダメなんだ。」
アスリートプロレスと言われるようになってきた現代のプロレスだけど、
本来のプロレスのあるべき姿、星野勘太郎さんが残した「戦う魂」を
後世に継いでかなければいけないと思います。
最後までご覧いただきありがとうございました!