今回は昭和の名レスラー
ケンドーナガサキ選手をご紹介します。
なんと大相撲からプロレスに転向した
異色の経歴です。
大相撲から日本プロレス、
そして全日本プロレスと渡り歩きます。
全日本プロレス移籍後にアメリカへ武者修行に
旅立ちます。
アメリカの各地で暴れまくり、
日本人ヒールレスラーとして大活躍します。
その中で、落ち武者風のペイントをした
ケンドーナガサキという選手が誕生するのです。
一体、どんな選手なのでしょうか?
ケンドーナガサキの現在

一時期は、神奈川県小田原でちゃんこ屋さんとスナック
さらにはケータリングの会社を経営していました。
見た目からは考えられないですが、
実業家の面もあるんですね。
しかし、2009年過労による体調不良で、
全ての事業を止めてしまいます。
その後は千葉県にお住まいのようです。
現在は、のんびり過ごされているのではないでしょうか?
ケンドーナガサキは最強?

色々なレスラーがケンドーナガサキ選手が喧嘩最強
と恐れています。
「セメントマッチならナガサキが最強」
と言われています。
セメントマッチとは、なんでしょうか?
これは隠語で・・・
「ガチンコ勝負」の事です。
つまり、リアルガチの勝負ならケンドーナガサキ選手が
最強と言われていたんですね!
す、すごいですね。。。
あくまで伝聞という事でしょうが、
このような言葉が残っていることから、
きっと本当に喧嘩したら危なかったんでしょうね。。
最初からケンドーナガサキじゃなかった?

ケンドーナガサキ選手はアメリカ各地で転戦する中で
名前を色々使っていました。
まず本名は「桜田 一男」さんです。
アメリカに渡った直後は
「ミスター・サクラダ」を名乗っていました。
その後、シンガポール出身の「チャン・チュン」という
覆面レスラーになります。
チャン・チュンは、なんとグ
レートカブキ選手とタッグを組みます。
その数年後、全日本に凱旋帰国してきたときには
「ドリームマシーン」という名前で登場します。
しかし!
覆面はチャン・チュンのまま・・・
しかも、外国人レスラーの1人として、活躍します。
不思議な設定ですね。
その後、再びアメリカに渡ったときに、ようやく
「ケンドーナガサキ」の名前に改名します。
アメリカではNWAフロリダ・ヘビー級王座に輝くなど
大活躍をします。
1985年、
今後は新日本プロレスに参戦するため帰国します。
今回は素顔で「ランボー・サクラダ」と改名します。
あのブロディ選手とも試合をするなど活躍したんですが・・・
名前が不評
でした。
そのため、結局ケンドーナガサキに戻しちゃいます。
でも、ケンドーナガサキ選手は、めげません!
WCWに参戦するため、またもや渡米しますが、
そこで、、お察しのとおり、名前を変えます。
「ドラゴン・マスター」
これが一番かっこいいですね。
このようにアメリカと日本を行き来するたびに、
名前を変える珍しいレスラーなんです。
ケンドーナガサキの試合動画

ケンドーナガサキ選手の試合です。
AWA世界ヘビー級選手権です。
昭和プロレスの雰囲気に満ち溢れています。
なんといっても、ケンドーナガサキ選手のオーラが
凄いです。
外国人レスラーに全く引けを取っていません。
さすが、アメリカで暴れまわった実績があります。
緊迫する技の応酬ですが、最後は意外な結末が・・・
出典元:https://www.youtube.com/watch?v=aViZ__P3dDM
最後に
日本プロレス界だけではなく、
アメリカのプロレス界でも大活躍した、
ケンドーナガサキ選手。
様々な名前で、様々なリングに上がり、
数多くの実績を残した、レジェンドの1人です。
プロレス、総合格闘技、ビジネスと
幅広い活躍に脱帽ですね。
昭和のプロレス界を牽引した
ケンドーナガサキ選手をご紹介しました。