引退後レスラー

山川竜司の現在はバー経営?結婚した嫁や子供は?引退試合や入場曲は?

プロレスファンの皆さん、こんにちは。

今回は、初期の大日本プロレスの
デスマッチ路線でも活躍していた

山川竜司さん

について見ていただこうと思っています。

引退からは、5年以上が経過していますが、
今山川さんはどのような第2の人生を
送っているのでしょうか?

それでは見ていきましょう。

山川竜司のこれまで


まずは、プロフィールからご紹介
します。

  • 本名:山川征二
  • 身長176.5㎝
  • 体重:90㎏
  • 生年月日:1970年4月2日
  • 出身地:北海道川上郡弟子屈町
  • 所属:大日本プロレス
  • デビュー日:1994年10月25日
  • 引退日:2012年7月15日

山川さんは、メガネスーパーが実質的経営
をしていたSWSが部屋別制を導入しよう
とした際に、意見が分かれ、そのまま
分裂になってしまったひとつの団体
NOWに入団して、1994年デビュー
果たします。

それから、東京プロレスに移籍後
1995年の途中から大日本プロレスに
移籍し正式所属選手となります。

一時は、総合格闘技も経験し、師匠格で
あったケンドー・長崎さんとブラジルで
バーリ・トゥード修行にも同行し、
ともに修行をしていた経験もあり、
ブラジル滞在中にムエタイの選手と
バーリ・トゥード戦を行い、惜しくも
敗戦したこともありました。

大日本に移籍してからは、シャドウWX選手、
本間朋晃選手と「新世代デスマッチファイター」
として活躍するようになります。

大日本移籍から4年後の1999年5月30日、
BJW認定デスマッチヘビー級王座を
初戴冠することができました。

2000年には、金村キンタローさんが
持っていたWEWハードコア王座
挑戦して勝利して戴冠しています。

しかし、2001年3月の博多大会の試合に
おいて、フロアに後頭部を強打してしまい、
頭がい骨骨折により、意識不明の重体
にまで陥ってしまい、長期欠場を
余儀なくされます。

同年の12月にWEWハードコアタッグと
BJWタッグのダブルタイトル戦で復帰を
するのですが、後遺症による左半身麻痺と
椎間板ヘルニアの併発によって思うような
試合ができないだけでなく、日常生活にも
大きな影響を及ぼすことになってしまいました。

こと椎間板ヘルニアにおいては、腰を
打ってMRI検査を行ったときに見つかる
ことになるのですが、それまでは一切
気づかなかったというのです。

病院の医師からも
「なめていたらえらいことになっていた」
とまで言わせてしまうほどでした。

山川さんは、実際にそんな状況の中において
もデスマッチを最後まで行っていたときも
ありましたが、そんな怪我を抱えていれば、
試合内容は不甲斐なくなってしまうのは
当然の話で、それでも試合に出続けてきた結果、
容体は徐々に悪化の一途をたどってしまいます。

そして、2004年9月の後楽園ホール大会を
最後に1年間休養を取ることになったのです。

休養に入ってからは、地元の北海道に
戻って、札幌のススキノでスナック
「薄野プロレスYAMARYU」を開店させ、
その傍らで体調を戻すためのトレーニングも
精力的に行っていました。

休養はしながらも、大日本プロレスの所属選手
ですから、大日本の札幌大会があると団体の
PR活動もこなしていました。

しかし、2005年10月、休養期間の1年を
経過したときに東京に戻ってきたの
ですが、気持ちの整理がつかないことと、
体調もやはり万全とはいない状態も
重なって、1年休養から無期限休養に
切り替わることになります。

2006年5月にシャドウWX選手から復帰を
促すような発言があり、それに山川さんは
奮起し、ススキノのスナックを週末のみの
営業にシフトチェンジし、横浜の
大日本の道場に泊まり込んでの練習を
始めます。

そして、9月に再起戦を行って復帰を
宣言するのですが、椎間板ヘルニアは
完治しておらず、当時統括部長であった
登坂栄児現社長からは、

「頂点を目指すレスラーとしてはNOだ」

と厳しい評価が下されます。

その後も数試合行いはするものの、
思うようにはいかず、結局北海道に戻って
大日本にはスポット参戦の形をとるように
なります。

復帰してからデスマッチではない通常ルールの
プロレスを行ってきたのですが、2009年8月、
実に7年ぶりの蛍光灯デスマッチを2試合
戦いましたが、試合内容の悪さから2010年5月の
大日本15周年記念興行を最後に再度休養
入ることになります。

休養を初めて5か月後の2010年10月登坂社長は、
山川さんに対して引退を勧告し、
引退までの道筋を決めていました。

2012年7月15日の地元札幌大会を
引退最終期限と決め、ファンの前で
公式に発表をしたのです。

引退勧告を受けて1年後の2011年には、
札幌のお店を横浜に移転させ横浜道場
での練習を再開します。

2011年12月6日新木場大会で復帰し、
この試合から山川選手の引退ロードとして
蛍光灯マッチや有刺鉄線などのデスマッチ
を行って、2012年7月15日の引退最終期限
の日に蛍光灯+五寸釘ボードデスマッチを
行い引退することになりました。

山川竜司は現在バーを経営している!?


ススキノの時は、スナックを営んでいた
のですが、横浜に移転させてからは、
カウンターバーのような雰囲気で営業
しています。

ただ、このお店は、週に一回、大日本の
選手が一日店長という形でお店に来て
お客さんのお酒を造ったりもしていますので、
大日本プロレスのフラッグシップショップを
山川さんは任せられているのかなと思います。

現在でも、大日本の試合会場に姿を見せる
こともあるということで、大日本とは
何らかの形でかかわっていると考えられます。

山川竜司は結婚している?

山川さんは結婚をしているのでしょうか?

以前、結婚して離婚を経験しているという
ことでバツイチだったのですが、2015年12月
再婚したということを夕刊紙の
インタビューで答えています。

13歳下の奥様だそうで、もちろん
プロレスファンということで理解も
あるそうです。

しかし、お子さんについては
わかりませんでした。

山川竜司の試合映像や入場曲は?


まずは試合映像から見ていただき
ましょう。

有刺鉄線蜘蛛の巣デスマッチ
中牧昭二・山川竜司
VS松永光弘・グレート小鹿

引退試合を見ていただきたかったのですが、
YouTubeには、映像がありませんでしたが、
ニコニコ動画にはありますので検索
してみてください。

次に入場曲です。

JourneyのSeparate Ways

TBS系の侍ジャパンのテーマ曲でも
ありますね。

まとめ


今回は、山川竜司さんについて見て
いただきましたがいかがでしたでしょうか。

大ケガからの復活ということはなかなか
無理がたたって難しかったのですが、
第2の人生も頑張っていらっしゃる
山川さんにぜひお店で会いに行けると
いいなと思います。

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