プロレスファンの皆さん、こんにちは。
今回は、みちのくプロレスで長きに
わたり活躍する
気仙沼二郎選手
をご紹介していきます。
引退したなんて声も聞こえているの
ですが、本当なのでしょうか?
それでは、ご覧ください。
気仙沼二郎は引退しているのか?現在は?
まずは、プロフィールからご紹介して
いきましょう。
- 本名:非公開
- 身長:175㎝
- 体重:90㎏
- 生年月日:1972年4月24日
- 出身地:宮城県気仙沼市
- 所属:みちのくプロレス
- スポーツ歴:レスリング・剣道
- デビュー日:1992年3月16日
ちなみに、リングネームは
「気仙 沼二郎(けせん・ぬまじろう)」で
「気仙沼 二郎」ではありません。
気仙選手は、みちのくプロレス旗揚げ
時のメンバーで、
「米河 彰大(よねかわ あきひろ)」の
リングネームでデビューを果たすの
ですが、その後「ヨネ原人」として
ブレイクをしていきます。
頭部の負傷によって、一度は引退をする
のですが、現役復帰をしました。
みちのくプロレスにいた「つぼ原人」
との間で敗者が原人のギミックをやめると
いう試合で敗戦したことから姿を消すこと
になるのですが、ギミックを変えることに
成功します。
それが、演歌歌手として「海の塊」と
いうデビュー曲まで引っ提げて演歌歌手
にもなるプロレスラーとして気仙沼二郎
としてカムバックしてきました。
入場時もこの歌を歌いながら入場すると
いうことで、あまりいないタイプの
プロレスラーとして地位を確立していく
のです。
2005年12月には、一夜限りのヨネ原人復活
もありましたし、2006年には
蛍光灯デスマッチも経験し、血まみれに
なりながらも持ち歌の「海の塊」を熱唱する
根性も見せていました。
2009年7月体調不良から病院で検査を
行ったところ、糖尿病であることが判明し、
治療のため入院することもありました。
その後は、ウルティモ・ドラゴン選手との
敗者改名マッチで敗戦し、
「ケッセン・ヌーマ・ジローラモ」に改名
したりもしたのですが、2014年からは
再びこれまでの気仙沼二郎にリングネームを
戻すことになります。
2015年には、東北ジュニアヘビー級王座を
奪取したのですが、挑戦自体は4回目で
しかも自身初のシングルチャンピオンの
戴冠ということでした。
この時、過去の盟友でもあり、
2010年心筋梗塞で33歳という若さで
亡くなった天国の愚乱・浪花さんに向かって、
「浪花、見てるか。やったぞ、俺!」
と大絶叫をして感動に包まれました。
2016年には、キングレコードから
メジャーデビューをすることになり、
CD「みちのくプロレス俺の海~海の塊」
を発売します。
2018年からは、ヨネ原人としての活動も
行うようになってきているのですが、
2019年4月からは、諸事情により、
スポット参戦になっています。
この諸事情については、わかりません
でしたので、もしご存じな方が
いらっしゃいましたら、コメントを
お待ちしています。
ただ、気仙選手は、かなり前の時期から、
みちのくプロレスの営業部長も兼任
しているということで、プロレスラー
だけでも大変なのに、そこに営業部長と
演歌歌手が入ってきたら、三足の草鞋に
あって相当な負担はかかっているのかも
しれません。
気仙沼二郎の結婚した嫁は?
気仙選手は、以前一度結婚し離婚を経験
しているそうです。
しかし、2017年3月に
ザ・グレート・サスケ選手と新崎人生選手
を伴って、自らの(再婚になりますが)
結婚を発表して周囲を驚かせるという
ことがありました。
そして、2017年4月5日に親孝行で
元気な女の子が生まれたということを
ブログで発表もしています。
奥さんや、お子さんのお名前や写真
などは一切公開されていないようです。
気仙沼二郎の試合動画や入場曲は?
それでは、最初は試合映像から見て
いただくことにしましょう。
みちのくプロレスの試合の前には必ず
と言っていいほど気仙選手の歌謡ショー
からスタートします。
その映像がありましたので、掲載して
おきます。
みちのくプロレス
2018年5月4日
福島市ウィル福島
気仙沼二郎、ヤッペーマン一号、二号
VSザグレートサスケ、バラモンシュウ、
バラモンケイ
なぜか、ゴージャス松野さんがセコンド
についていたり、試合までのもろもろ
(笑)が長かったりはしますが、これぞ
みちのくプロレスかもしれません。
続いて入場曲です。
X.Y.Z.-Aの
Don’t Let The Sun Go Down
ちなみに、これはカバーバージョンです。
今は、歌いながら入場というのをやって
いないようですね。
まとめ
今回は、気仙沼二郎選手について
取り上げてみましたがいかがだった
でしょうか。
今は、キャリアも長くなっていることや、
糖尿病も完治しているかはわかりませんから、
こういったところももしかすると、
試合数が減ってきている原因かもしれません。
それでも、プロレスラーと演歌歌手、
団体の営業部長とすべてをかけもっていく
ことは並大抵のことではないでしょうから、
身体にあまり無理をかけない程度にバランス
よくやっていっていただきたいと思います。