引退後レスラー

マンモス鈴木の試合動画や入場曲!伝説や名言や双子とは?

プロレスファンの皆さん、こんにちは。

今回は、猪木・馬場と同じ時代を生き
抜いたレジェンド中のレジェンドレス
ラーであったマンモス鈴木さんをご紹
介していこうと思います。

マンモス鈴木のプロレス界における足跡


まずは、プロフィールをご紹介してい
きましょう。

  • 本名:鈴木幸雄
  • 身長:193㎝
  • 体重:120㎏
  • 生年月日:1941年2月10日
  • 死亡日:1991年5月24日
  • 出身地:宮城県仙台市
  • デビュー日:1958年9月5日

マンモス鈴木さんは、日本プロレスの
父ともいわれる力道山さんの弟子のひ
とりで、日本プロレスに入門します。

当時若手時代においては、アントニオ
猪木さん、ジャイアント馬場さん、大
木金太郎さんとともに「若手四天王」
と呼ばれていました。

おそらく、その後の全日本プロレスで
四天王と呼ばれた「三沢光晴さん、小
橋建太さん、川田利明さん、田上明さ
ん」、新日本プロレスでは、「中邑真
輔選手、棚橋弘至選手、真壁刀義選手、
後藤央紀選手」というようなところの
源流的なものといえるのではないかと
思われます。

20歳になった1961年7月には、
ジャイアント馬場さんともにアメリカ
に武者修行のため旅立つのですが、馬
場さんよりも実は早く凱旋帰国してき
ました。

凱旋試合の相手は猪木さんであったの
ですが、引き分けることになります。

この時、マンモスさんのせっかくの凱
旋試合を引き分けという何とも言えな
いふがいなさで終わらせてしまった猪
木さんに力道山さんは怒りを買い、激
怒したともいわれています。

マンモスさんの大きな体を活かしたフ
ァイトスタイルというのは、将来性が
あふれていて非常に期待をされていた
のですが、私生活が乱れがちであった
ことと、ここはプロレスラーとして致
命的なところかもしれませんが、試合
本番で取り乱すことが多かった神経の
細さによって伸び悩んでしまうことに
なりました。

日本プロレスの後、東京プロレス、国
際プロレスと渡り歩いて選手を務めて
きたのですが、引退後はレフェリー
して転身しました。。

レフェリー最後の試合は、国際プロレ
スとしての最後の試合でありながら、
かつ最後の金網デスマッチともなった
鶴見五郎VSテリー・ギッブスの試合
をレフェリングしています。

プロレス引退後は何をしていたのか?


プロレスラーとして、またレフェリー
としても引退し、プロレス界から去っ
た後は俳優としてデビューを果たし、
多くの映画に出演していました。

デビューは1968年で最後の作品が
1979年ですから、実に10年以上
にわたり、俳優としても活躍をさ
れていました。

マンモス鈴木は双子だった!?


マンモス鈴木さんは、双子だったので
すが、マンモスさんの双子の兄弟は、
ともに生まれたのではなく、マンモス
さんのおなかの中にいたというのです。

なんか信じられない感じではあるので
すが、デビュー当時は110㎏を超
える大柄のレスラーだったのですが、
いつも体調がよくなく、練習にもつい
ていけなかったといわれています。

そこで、病院に行き受診してみたとこ
ろ、なんと身体の中に双子の肉体が貼
っているのが発見されるということが
分かったのです。

どうやらこれが体調不良の原因だった
ようです。

おなかの中の双子の兄弟はもちろん命
は残っている訳ではありませんので、
摘出手術を行ったのですが、その後は
みるみるうちに体重が減っていってし
まい、結果としてプロレスができなく
なってレフェリーに転向したというこ
とです。

しかし、今の時代においてはなかなか
信じられないことだとは思いますが、
今の医療の技術を持ってすれば、この
ような形にはならなかったかもしれま
せん。

とても悲しい話です。

マンモス鈴木の名言って何?


マンモスさんの名言というのは、正直
いろいろ調べてみたのですが、出てき
ませんでした。

しかし、馬場さんとともに海外遠征し
てた時共にしていたのがマンモスさん
でしたので、その時に残した馬場さん
の数々の言葉が、おそらくマンモスさ
んの言葉と混同してしまったのではな
いかと思われます。

マンモス鈴木の試合映像や入場曲は?


まずは、試合映像から見ていただくこ
とにしましょうとおもっていたのです
が、残念ながら試合映像を見つけるこ
とができませんでした。

以前、国際プロレスはテレビ東京でテ
レビ放送が行われていました。

その時の総集編DVD BOXが出た時
の紹介VTRです。

アニマル浜口さんの当時を振り返るコ
メントも見ものです。

また、入場曲についても見つけること
ができませんでした。

時代を考えても、この時は入場曲もな
かった時ですので、特定の曲はなかっ
たのではないかと思われます。

まとめ


今回は、マンモス鈴木さんについてご
紹介していきました。

中々思うようなファイトができない中、
実は力道山からは相当の鉄拳制裁を受
けたということもあったそうです。

しかし、自身の身体の中には双子のも
う一人がいたという何とも不運も重な
ってプロレスラーとしては、大成する
とまではいかなかったかもしれません
が、プロレス界を離れた後は一人の俳
優として銀幕の中で活躍をつづけまし
た。

若くして亡くなるということになりま
したが、日本のプロレス界にとっては、
まさに必要不可決なレスラーだったこ
とは間違いありません。