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浅子覚の引退の理由や現在は?結婚や嫁は?試合動画や入場曲!

プロレスファンの皆さん、こんにちは。

今回は、プロレスリング・ノアのジュ
ニア戦線で活躍していた浅子覚
ついて見ていただくことにしていきましょう。

引退後の浅子さんはどのような生活を
しているのかなどを含めてご紹介して
いこうと考えています。

浅子覚のプロレス時代の足跡


まずは、プロフィールからご紹介して
いきましょう。

  • 本名:浅子覚
  • 身長:173㎝
  • 体重:90㎏
  • 生年月日:1971年3月2日
  • 出身地:埼玉県大宮市(現 さいたま市)
  • 所属:プロレスリング・ノア
  • デビュー日:1991年4月4日
  • 引退日:2002年7月26日

浅子さんは、もともと全日本プロレス
に憧れを持っていたのですが、事情が
あって新日本プロレス学校に入学をし
てプロレスを学んでいきます。

しかし、全日本プロレスへのあこがれ
は強くて、あきらめられなかったので
すが、当時の全日本の社長であった
ャイアント馬場さんは入団に難色を示
していたといいます。

そこには、浅子さんの体格について背
も低く、身体も小さかったため、入団
を望んでいたものではなかったという
ことでした。

しかし、この時期に天龍源一郎さんら
がSWSに移籍するために退団する時
期と当たってしまい、選手不足の事態
に陥ってしまっていたため、入門が認
められたという経緯がありました。

全日本時代は、三沢光晴さんらと超世
代軍の一員として活動し、ジュニアの
エースとして期待もされていました。

その後、全日本プロレスは分裂するこ
とになって、三沢さんらとともにプロ
レスリング・ノアに移籍することにな
っていきました。

2001年9月には、当時の
GHCジュニアヘビー級チャンピオン
だった金丸義信選手とタイトルマッチ
を行ったが、敗北を喫してしまいます。

その直後とも言っていい
2001年11月の試合中に首を負傷
し、欠場に追い込まれてしまい、その
復帰に向けてリハビリを行っていたの
ですが、結果として2002年7月に引
退を発表せざるを得なくなってしまいました。

引退試合は、代々木第二体育館で行わ
れ、浅子さん本人の希望で全日本時代
の超世代軍の仲間だった三沢さんと、
小橋建太さんとタッグを結成し、田上
昭さん、井上正雄さん、橋誠選手と対
戦しました。

試合は、怪我をしている首を終始狙わ
れることに終始苦戦を強いられてしま
うのですが、それでも最後は三沢さん、
小橋さんとの連携で橋選手からピンフ
ォールを奪い、勝利で引退試合を飾る
ことができました。

引退をした浅子覚の今は?


引退試合を終えて、この後浅子さんは
どのような道に進んでいったのでしょ
うか?

今現在、浅子さんは、ご自身で「あさ
こ接骨院」を千葉県市川市で経営して
いらっしゃいます。

近年、引退後接骨院やマッサージ系の
お店などを経営する元プロレスラーの
方々は増えてきています。

例えば、山崎一夫さんや、ミラノコレ
クションATさんが有名ですが、その
他にも数多くの方が、第2に人生を送
っています。

やはり、ご自身がケガなどでいろいろ
な痛みや苦しみを経験しているため、
その緩和の大切さなどを実体験から痛
感しているのでしょう。

きっかけは、三沢さんから勧められて
整骨院での実践教育と、専門学校で勉
強を行いながら、ノアのトレーナーと
して転向することから始まります。

トレーナーをしながら、日テレジータ
スのプロレスリング・ノア中継の解説
や試合のレフェリーを務めていたこと
もあります。

こういった勉強と仕事を両立させなが
ら、4年の年月を経て、柔道整復師の
試験に合格することになったのです。

ノアの巡業に帯同しながらトレーナー
業務をしながら接骨院での実践業務を
兼ねながら、必死に勉強をしていたと
いうことで、試験が終わったその日の
夜には、高山善廣さんや鈴木みのる選
手から「お疲れ様会」を開いてもらっ
という話もあるほどです。

この柔道整復師という国家資格を得る
ことによって、臨機応変にトレーナー
としてはたくことができるようになり
ました。

浅子さんは、ノアのメディカルトレー
ナーとしての顔と、ノアが公認する
あさこ接骨院の顔を持つことができる
ようになったのです。

2017年でノアのメディカルトレー
ナーを退職して現在は接骨院の経営に
集中しています。

浅子覚は結婚しているのか?嫁は?


浅子さんの結婚についての情報や噂な
どをいろいろと調べてみましたが、全
くそのようなことが出てきませんでし
た。

こんな状態でしたので、おそらく結婚
などはしていないと思われます。

浅子覚の試合動画や入場曲は?


それでは、試合映像を見ていただきま
しょう。

1998年5月1日
全日本プロレス 東京ドーム大会
金丸義信VS浅子覚

当時デビュー8年目の浅子さんと、
3年目の金丸選手とのシングルマッチ
です。

2000年8月5日
プロレスリング・ノア旗揚げ戦
ディファ有明大会
浅子覚・高山善廣・大森隆男VS
池田大輔。小川良成・垣原賢人

次は入場曲です。

ノア時代のものが見つからなかったの
で、全日本時代のものをご紹介します。

曲名は、
「CRYING IN THE BLAZE」です。

まとめ


今回は、浅子覚さんについて見ていた
だきましたがいかがでしたか?

首のケガということで、リハビリもか
なりハードなものではなかったかと想
像できますが、その努力もかなわず引
退を余儀なくされてしまうことになり
選手生活自体は決して長くありません
でした

しかし、その後の柔道整復師になるま
での道のりもプロレスラーでなければ
経験できなかったことであり、だから
こそ今の地位も得られているというこ
とは、プロレスラーが引退したときの
ひとつの第二の人生のひとつの道筋を
創り上げた偉大な方なのかもしれませ
ん。

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