今回は青木篤志さんを特集します。
皆さんもご存知の通り、青木さんは
2019年6月4日、バイク事故によりこの世を去りました。41歳でした。
プロレス界に衝撃が走った突然の訃報に、各レスラーから追悼の声が届きました。
今回は青木さんの活躍した動画やおすすめポイントなどを紹介していきたいと思います。
試合動画や入場曲
(出典元)https://number.bunshun.jp/articles/-/839951
元自衛官。170cm 85kgと小柄な青木さんはジュニアヘビー級で活躍。
関節、投げ、打撃と、どれも優れたオールラウンダーでした。
最初の紹介する動画は2005年から在籍していたNOAH時代、KENTAとの一戦です。
2013年からは、活躍の場を全日本プロレスに移しました。
数々のタイトルも獲得し、現在の全日本プロレスを代表するレスラーの一人でした。
次の動画はチャンピオンカーニバル2019で王者・宮原健斗と対戦した時の動画です。
4月4日に行われた試合なので、この試合が亡くなる2ヶ月前の姿になります。
まだまだ活躍が期待できた選手なだけに、本当に彼の死が悔やまれます。
そして青木さんの入場曲は「Fight it Out」という曲です。
Hi-STANDARDが兼ねてから好きで、そのメンバーの難波章浩さんの曲を
使用していました。
結婚や彼女は?
(出典元)https://no-tenki-e-tenki.com/5251.html
41歳だった青木さんは結婚していたんでしょうか?また彼女はいたんでしょうか?
いろいろ調べてみたんですが、結婚、彼女の情報は発見できず。
プライベートでは「バイクで一人旅をしていた。」という事や、
「家に遠征から帰ってきたらチラシが溜まっていた。」などのツイート文から見ても、
独身だった事がなんとなくわかりました。
ちなみに好みの女性はAKB48の柏木由紀さんだったそうです。
おすすめポイントは?
(出典元)https://www.tokyo-sports.co.jp/prores/ajpw/1418844/
青木篤志という人間、優等生に見えて実は反骨心の塊でした。
青木さんがプロレスにハマったのは中学生の頃。
友人から全日本プロレスを薦められた事がきっかけで、どっぷりプロレスに
ハマってしまったそうです。
朝起きて録画しておいた全日本中継を観戦。学校に行って友だちとプロレスごっこを
やり、帰宅してまた過去のビデオなどを見る日、まさにプロレス漬けの中学時代でした。
いつしかプロレスラーになりたいと夢を抱くようになり、
アマレスができる高校に進学しました。
全ては憧れの三沢、川田のようなプロレスラーになるため。
高校ではひたすらアマレスの練習に明け暮れていたのだが、プロレスラーとして必要な
身長がなかなか伸びず、体重も増えなかったことにも悩み、
身長制限のない総合格闘技の道も視野に入れ始めた時期もあったそうです。
全日本プロレスの入門規定は180cm 80kgでした。
体重は頑張って増やせても身長はどうにもならないですからね。
当時は青木さんと同じように身長が足りずにプロレスラーになりたくてもなれないと
悩みを抱えていた人はいっぱいいたと思います。
しかし、それでも夢を諦めなかったのが青木さんです。
高校を卒業して、自衛隊に入ってもレスリングを続けてた青木さんは
体育学校時代の先輩、杉浦貴と飲む事があり、そこでNOAH入団を薦められたそうです。
杉浦から「身長なんて関係ない!頑張るというやる気があればなんだってできる!」
と叱咤激励を受け、一歩踏み出す事を決意。
27歳という年齢でしたが青木さんはNOAHの入門テストを受ける事を決意、
無事合格しプロレスラーへの道を進む事になりました。
青木さんは自分がプロレスラーになれた事についてこう語っていました。
今、自分がプロレスラーになれたのは反骨心だけですよ。背が低い。
実績もない。若くもない。それでもNOAHというメジャー団体に
いるんですから、いつか見ておけよ!ってずっと思ってますから。
(出典元)http://www.purosoku.jp/archives/51998265.html
青木さんのコスチュームは青を基調としています。
「青木という苗字だから青」とか思いがちなんですが、深い理由がありました。
プロレスの青コーナーはチャレンジャーが立つ場所。
常にチャレンジ精神を持って試合に挑みたい
という理由から、青コスチュームにしていたそうです。
まとめ
(出典元)https://imgarchive.online/tag/%E9%9D%92%E6%9C%A8%E7%AF%A4%E5%BF%97
デビュー後メキメキと頭角を現し、NOAHや全日本プロレスにおいて
欠かせない存在にまで成長した青木篤志さん。
5月には世界ジュニアヘビー級王者となり、新しいチャンピオン像を作りあげていく
姿をファンに魅せていくはずでした。本当に残念です。
でももっともっと悔しいのは青木さん本人のはずです。我々は彼の死を無駄にしない
ためにも、青木さんが大好きだったプロレスを共に愛し続けようではありませんか。
改めて心よりご冥福をお祈りします。