みなさまは、新日本プロレスの保永昇男を知っているでしょうか?
「ジュニアの職人」として、ライガー、サムライらと対抗。スポットライトが当たる事が
少ない選手でしたが、独自のプロレス感と対戦相手を引き立てる技術で試合を作りあげる
ような選手でした。
引退試合を紹介
(出典元)https://ameblo.jp/jumpwith44/entry-12001174689.html
保永は1998年、43歳の時に引退しました。
怪我の影響が大きかったようです。
1995年9月。高岩戦で右足アキレス腱断裂という重傷を負い、長期欠場に
追い込まれました。
実は、長期欠場をする前にもある異変が起こっていました。
自律神経失調
船木誠勝の蹴りでやっちゃった右目の状態がよくなかったんです。
後ろ回し蹴りが右目に入って、お岩さんみたいに腫れちゃって。
医者には『絶対に安静にしてください』と言われたけど、
長州さんに『バカ野郎! そんなの三日も休めば十分なんだ!』と言われてすぐに
復帰したんです。そうこうしているうちに自律神経がおかしくなって、
右足のアキレス腱を切っちゃって…
長期欠場の理由をこう話してました。
当時、現場の全てを仕切っていたのは長州力で、「現場監督の長州には逆らえない」
という時代でした。今だとパワハラっぽい感じもしますが、昔はそれが当たり前でした。
1996年に怪我から復帰し、欠場前と変わらない試合をしているように見えたんですが、
保永自身はアキレス腱に違和感があったそうです。
その頃から、金本、大谷、高岩(通称トンガリコーンズ)という若いジュニア選手が
活躍するようになり、ライガー、サムライ、カシンと世代闘争が勃発するようになって
いました。
保永は世代的にライガー、サムライ側について以前と変わらない仕事をこなしてきたけど、
1998年の契約更新で長州から戦力外通告を出され、事実上クビにされる事に。
アキレス腱の怪我で欠場してたとはいえ、まだまだ動ける選手をクビにするのは、
会社の都合とはいえ可哀想ですね。
これには保永自身も納得いかなかった部分もあったようで、
この宣告後、自宅で悔しくて泣いたそうです。
そして、1998年4月30日、後楽園ホールにて保永の引退試合が行われました。
対戦相手は、ライバルであり、幾度となく抗争してきた獣神サンダーライガー。
試合は掌底からの片エビ固めで、ライガーが勝利したものの、
「もう1試合、俺たちとやってくれ!」と金本、大谷、高岩の
トンガリコーンズが乱入。
3人とも保永をとても尊敬していて、
だからこそ、最後の引退試合の相手になりたかったのです。
ライガー、サムライも加わり、急遽6人タッグマッチでの再試合が行われました。
若い3人に指導するかのように3人の攻撃を受けきった保永、
最後は高岩にウラカン・ラナを丸め込み、自身の引退試合を勝利で締めました。
試合後、敵、味方関係なくリング上で何度も何度も胴上げされ、ファンからも惜しみない
拍手を送られながら、保永昇男は現役生活に幕を下ろしました。

(出典元)http://blog.livedoor.jp/verdigris28/tag/%E4%BF%9D%E6%B0%B8%E6%98%87%E7%94%B7
引退試合の動画ですが、よろず屋(@mannoji_gatame)さんのTwitterに
残されていました。
https://mobile.twitter.com/mannoji_gatame/status/1001073615436103682
後楽園ホールに響き渡る、割れんばかりの「大ホナガ」コール。
リング上では無表情を貫いていた保永も、この日ばかりは優しい顔でファンのコールに
応えていました。保永昇男という男がいかにファンから愛されていたか、
とても素晴らしい引退試合だったと思います。
入場曲を紹介
(出典元)https://sp.njpw.jp/champions/iwgp-jr?pageNum=7
保永の入場曲はGod Bird Changeという曲です。
引退後の現在やレフェリーとして
(出典元)https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E6%B0%B8%E6%98%87%E7%94%B7
引退後はレフェリーとして現在もリングに上がっている保永。
レフェリーに転職したての頃は、プロレスラーとしての血が騒ぐのか、
ロープブレイクしているのに技をかけ続ける選手に対し、ストンピングを連発して
選手を制し、保永コールを巻き起こすエピソードがありました。
また、不甲斐ない内容の試合をした若手選手を厳しく叱ったりもするので、
怖い存在として知られていますが、レフェリーの立場で若手を育成したり、相談役として
プロレス界に携わっています。
(出典元)ダセーファンクJrさんのTwitterより
先日行われた、長州力の引退試合でもレフェリーを務めていました!
保永と長州の関係を知る昔からのファンにとっては、こういうサプライズって
本当に嬉しいですよね。
まだまだ動けるのに、長州からクビを宣告された保永は長州の事を憎んでいるんじゃないか
と思ってましたが、
本来ならばプロレス業界から離れなければいけないところ、「レフェリー&指導者」
という道を残してくれて、第2の道を作ってくれた。と長州に感謝をしていました。
どんな場所でも与えられた仕事を寡黙にこなす職人は、これからもプロレス界を
陰ながら支えてくれる事でしょう。