全国三千万人のプロレスファンの皆様
こんばんわ!
野武士、博多男、シャチホコ
このフレーズでピンと来ましたか?
今回は中野龍雄(現・中野巽耀)選手の
特集です。
経歴は?
出展元:http://www.instazu.com/tag/中野龍雄
- リングネーム 中野 巽耀
- 本名 中野 龍雄
- 身長 174cm
- 体重 98kg
- 誕生日 1965年6月16日(53歳)
- 出身地 茨城県下妻市
- デビュー 1984年8月29日高崎市中央体育館 VS廣松智戦
旧UWFでデビュー
出展元:https://twitter.com/9mHbJuK7DCuCrke/status/1107022420257329153
U系のイメージが強い中野龍雄選手
ですが、デビューのきっかけに
なったのは、ラッシャー木村さん。
国際プロレスの後楽園大会に、
市議会議員に控室に連れられて、
ラッシャー木村さんを紹介され、
そこで入門を直訴しました。
そのときは、体が小さいため断られます。
しかし、諦めることなく働きながら
トレーニングを積み、
3年後の1984年
ラッシャー木村さんが
参加していた、旧UWFに入門。
当時はまだ道場がなく、
スポーツ会館など、様々なジムを
転々とし、練習していたそうです。
デビュー戦は同年8月29日、
高崎市中央体育館での廣松智戦。
新日本プロレス参戦
出展元:http://www.showapuroresu.com/bio_j/na/nakano_tatsuo.htm
旧UWFは、経営悪化のため、
新日本プロレスにUターンします。
若手だった中野龍雄選手も
新日本プロレスのリングに
上がることになります。
1987年のヤングライオン杯にも
出場しています。
新生UWF旗揚げ
出展元:http://hidehide7755.blog27.fc2.com/blog-entry-1963.html
ここで、プロレス史に残る大事件、
前田顔面蹴撃事件が起こり、
1988年2月1日付で、
UWFのリーダー前田日明選手が
新日本プロレスを解雇されます。
ここから前田日明選手は、
UWF再旗揚げに動きます。
そして、同年5月12日、
チケットが15分で完売した
伝説の後楽園ホール大会、
新生UWF「Starting Over」
が開催されました。
中野龍雄選手は、この大会で
第2試合で安生洋二選手と対戦。
前田日明選手に追随し、
新生UWFに参加した選手は、
中野龍雄選手のほか、
- 高田延彦選手
- 山崎一夫選手
- 安生洋二選手
- 宮戸茂夫選手
計6名の選ばれし者でした。
その後、UWFは若者を中心に
大ブームを起こし、2年後には
東京ドーム大会にまで到達します。
博多男
出展元:http://murasakilg.blog64.fc2.com/blog-entry-719.html
中野龍雄選手のファイトスタイルは、
一言でいうと武骨。
どんな相手だろうと、正面から挑み
負ける時も、豪快に玉砕します。
このファイトスタイルが、花開き
UWFで熱い試合を連発します。
特にこのスタイルに呼応したのが、
博多スターレーンのお客さんです。
いまは博多の熱男といえば、
福岡ソフトバンクホークスの
松田宣浩選手ですが、
この当時、博多の熱男といえば
中野龍雄選手でしたね。
祭りの文化のある、
博多の熱いお客さんの
声援を一身に受け、鼻血を
拭くこともせず、戦う姿は
Uの名物でありました。
代名詞シャチホコ固め
出展元:http://murasakilg.blog64.fc2.com/blog-entry-588.html
中野龍雄選手の得意技といえば、
シャチホコ固めですね。
片逆エビ固めを、思いっきり
のけぞらせる技です。
これも博多スターレーンの
内藤恒仁戦で生まれました。
余談ですが、シャチホコ固めに敗れた
内藤恒仁選手も、これ以降
シャチホコ固めを得意技にしています。
UWF解散とUインター誕生
出展元:https://blog.goo.ne.jp/tadapyon_1971/e/a61704046536c85d257d4d0970550fb3
あれだけの隆盛を誇った新生UWFも
フロントと選手に亀裂が入り、
1990年12月1日、松本大会後に
全選手解雇。事実上の解散。
解散したUWFは前田日明選手のリングス、
藤原喜明選手のプロフェッショナルレスリング藤原組、
高田延彦選手のUWFインターナショナル
の3派に分裂します。
中野龍雄選手は、Uインターを選択。
Uインター時代の中野龍雄選手いえば
ベイダー初参戦の相手を務めたこと。
これは当時の週刊プロレス、
宍倉次長の強烈なプッシュにより、
実現したカードでした。
筆者もこの試合を、日本武道館で
生観戦しましたが、大人と子供ほどの
体格差で、強烈な腕パンチをよけ
ローキックで巨体を揺らした
シーンには大興奮しました。
最近の活動と結婚、嫁は?
出展元:https://blog.goo.ne.jp/prowrestle/e/6347ed5ccbf1471acf96103ddbdd2797
1996年にUインターを離脱。
その後は、全日本プロレスを始め
プロレス団体に参戦するようになる。
正直、U系イメージが強かったので、
この時期は少し複雑でした。
その後、中野龍雄選手が
スポットライトを浴びたのが、
1998年のバーリトゥード挑戦です。
当時、人気だった超巨漢力士
エマニュエル・ヤーブローと対戦。
正面から挑み、300キロの体重に
押しつぶされ完敗。
この直後に高瀬大樹選手が、
ヒット&アウェイ戦法で、
ヤーブローを攻略しますが、
とても対照的な挑み方だったと思います。
そんな中野龍雄選手、
結婚の話題は聞きませんね。
現在も試合を行っています。
先日は博多スターレーンで、
閉館前最後の試合を行いました。
Uの遺伝子の一人として、
長く頑張ってほしい選手です。
入場曲や名勝負は?

♪もえる、もえるぅ、もえるぅぅ
俺のこころがぁぁぁ♪
一度聴いたら忘れられない
ジョー山中さんが作った
中野龍雄選手にぴったりな曲です。
そして、名勝負といえば大興奮のベイダー戦でしょう。
それからUWF時代、
博多スターレーンでの船木誠勝戦。
そして300キロの体重に圧殺された
エマニュエル・ヤーブロー戦。
まとめ
出展元:https://blog.goo.ne.jp/prowrestle/e/6347ed5ccbf1471acf96103ddbdd2797
玉砕覚悟のファイトスタイルで
熱い試合が多い中野龍雄選手。
流行りのプロレスではありませんが、
こういう選手こそ貴重だと思います。
それでは、
興奮の博多スターレーンから
ごきげんようさようなら!