プロレスファンの皆さまこんにちは。
皆さまは「Uインターの頭脳」こと

宮戸優光とは?

(出典元)https://ganryujima.jp/archives/10163
- 本名:宮戸 成夫(みやとしげお)
- 身長:177cm
- 体重:93kg
- 誕生日:1963年6月4日(55歳)
- 出身地:神奈川県
- 所属:C.A.C.C.スネークピットジャパン
- トレーナー:佐山聡
- デビュー:1985年9月6日
- 引退:1995年
1975年のアントニオ猪木vsビル・ロビンソン戦を生観戦。あまりの感動に中学生時代は柔道部に在籍し、格闘技の道を目指したそうです。その後、新日本プロレス道場での練習を重ね、「スーパータイガージム」で佐山聡の内弟子となりました。
1985年に第1次UWFでデビューし、その後、新日本プロレスに参戦。前田日明、髙田延彦らと共に行動し、第2次UWFの旗揚げに参加。
月に1回というペースの興行ながら順調に進んでいったはずだった第2次UWFも、次第にフロントと選手間に確執が生まれ、事実上、第2次UWFも崩壊しました。
その後1991年に高田延彦が設立したUWFインターナショナルの旗揚げに参加。
だが選手というより、裏方として活躍していたそうで、当時としては画期的なプロモーション
「1億円トーナメント」やゲーリー・オブライトら強豪外国人レスラーの発掘などで活躍していました。
「Uインターの頭脳」と呼ばれるようになったのは、ここからみたいですね。
ただこの画期的なプロモーションである「1億円トーナメントの開催」のほかに
その後の1995新日本プロレスとのの提携路線に反発してUインターを退団。引退しました。
宮戸優光の現在は?

引退後は周富徳に弟子入りをして料理人を目指していたが、鉄人ルー・テーズに再会したことがきっかけでプロレス熱が再燃。その後UWFスネークピットジャパンの代表に就任。
ヘッドコーチにビル・ロビンソンを招聘し、井上学、鈴木秀樹、定アキラの指導をしました。
また1997年に東京ドームで行われた「PRIDE.1」のメインイベントに、
高田延彦のセコンドとして登場、ファンを驚かせました。
また、2002年の「PRIDE.23」の高田延彦 対 田村潔司戦では
Uインター時代のジャージを着用し、田村のセコンドを務めたりと、要所要所でファンの前に姿を見せていました。
現在は高円寺で「 C.A.C.C. スネークピットジャパン」という道場の代表として活動しているようです。
宮戸優光と前田日明の関係は?

初めて2人が出会ったのが「新日本プロレスの道場」。
宮戸がまだ中学生の頃、友人と道場を見学しに行った際に、練習生だった前田と一緒にランニングしたりトレーニングをしたのが始まりだったそうです。
前田のプロレスデビューが決まってからも2人で一緒にトレーニングを続けるほど、仲の良い関係だったようです。
前田のイギリス遠征が決まった際、宮戸に
「大阪に行ってこい! 俺が昔行っていた空手道場で練習してこい!向こうに行ってからのことは全部、俺が手配しておくから!」と言って宮戸に5万円を渡したそうです。
な、なんて超カッコイイ兄貴なんだ!
前田がイギリスにいる間もずっと手紙でお互いの近況をやりとりしていた事や、前田のマンションに居候していた事から、2人の関係の深さが伺えます。
佐山聡が引退発表を行い、自身のジム「タイガージム」を設立しました。
佐山を慕っていた前田は宮戸を誘ってタイガージムに通うようになり、宮戸は内弟子になりました。
それからしばらくして前田は第一次UW Fに移籍し、遅れて宮戸も合流。
宮戸は1985年にデビューしました。
UWF時代になってからは前田の”しごき”が理不尽になり、宮戸の事も名前ではなく「新弟子」と呼んでいた事に対して、宮戸は、じわじわと不満を抱くようになったようです。
超カッコイイ兄貴で、前田はあんなに宮戸の事を可愛がっていたのに・・・どうしちゃったのでしょう。
前田がUWFの社長と衝突して選手全員が解雇され、新たに団体を発足させる事になった際、前田は全選手が今まで通り自分に付いて来てくれると信じてたはずが、
宮戸と安生に異議を申し立てられ、それがきっけでUWFが解散することになりました。
誰も前田に付いて行かなかった事を考えると下の選手に対する配慮が足り無かったんでしょうね。
前田にしたら「面倒を見てやっているのに新弟子達に裏切られた!」という感じなのでしょうが、その新弟子達からしてみると「いつまでも認めてもらえないという不満」があり意見が合わなかったのだと思います。
今となってはもう交わることのない前田日明と宮戸優光。
昔のような「兄貴と弟分」のような関係だったら、絶縁状態にならなかったんだろうなと思います。
宮戸優光は結婚している?嫁や子供は?
ツイッターで2002年に結婚しているとの情報がありました。
しかも
仲人はなんとルー・テーズ!!
すごいですねー。仲人が鉄人だなんて、なんて羨ましいんでしょう。
しかしその1ヶ月後、テーズさんは亡くなったそうです・・・
まとめ
旗揚げから解散まで。激動のUWFの中で戦い続けた男 宮戸優光。
旧UWF時代に彼は、「自分だったらこんな運営をしたいな」「自分だったらこんなマッチメイクをしたいな」という事を常々考えていたそうです。
新生UWFの時代に発揮した、彼の「画期的なプロモーション」が旧UWF時代に発揮されていたならば、もしかしたら今のプロレス界はまた違う景色になっていたかもしれません。