引退後レスラー

本城匠の現在や退団、引退の理由は?結婚や彼女は?

プロレスファンの皆さん、こんにちは。

今回は、元新日本プロレスの

本城匠さん

についてご紹介していきます。

いつの間にかフェードアウトするような
形で我々のところから姿を見ることが
できなくなってしまったのですが、
どうしてしまったのでしょうか。

本城匠のこれまで


まずは、プロフィールからご紹介
していきましょう。

  • 本名:本城匠
  • 身長:186㎝
  • 体重:110㎏
  • 生年月日:1992年3月6日
  • 出身地:東京都江戸川区
  • スポーツ歴:柔道
  • デビュー日:2016年2月25日

本城さんは、2010年に都立高校を
卒業した後、その約半年後に
アニマル浜口トレーニングジムに入門
してトレーニングを積んでいきます。

トレーニング期間は3年間という期間
で決して短いということではないでしょう。

アニマル浜口トレーニングジムに入門
する前は、小学校2年生から柔道
やっていたということで、子供の時
からすでに格闘技にはかかわりを
持っていたということになります。

そこからさらに
アニマル浜口トレーニングジムに入門
するということですから、今以上に強く
なりたいというような気持が非常に
大きかったということになるのでは
ないでしょうか。

そして、苦しかったであろう3年間を
すごしたのちに、ようやく本城さん
にもチャンスが訪れます。

2013年10月に新日本プロレスの
主宰する公開オーディションが
新木場1st RING開催され、本城さんも
参加することになります。

厳しいテストメニューをすべてこなす
ことはできなかったようですが、
審査の結果、見事合格を果たすことが
できました。

この時に合格をしたのは本城さんを含め
2名だけで、気になるもう一人は
今無期限海外武者修行中の岡倫之選手
(現:グレート・オ・カーン)でした。

ちなみに、当時の試験内容は、岡選手の
ブログに掲載されていましたのでご紹介
しておきましょう。

自己紹介&自己PR、マット運動、
スパーリング、反復横跳び30秒、
腕立て伏せ50回、ロープ懸垂10回、
腹筋50回、サーキット運動90秒、
スクワット500回

常人では、絶対に超えることのできない
大きな壁といえますので、改めて
プロレスラーというのは超人だなぁと
感じざるを得ません。

しかも、ただメニューをそつなく
こなすというだけではなく、プロレスの
リングを使って行うということも
このオーディションの大きな特徴と
いえます。

そして、上から照らされるライトの光の
暑さやバウンドをするリング、当日は
立ち見までいたという観客の熱い視線、
試験官の厳しい視線、そして間髪入れず
メニューをしなければいけないという
休憩時間の短さは受験者からしてみれば
相当苦しめられるといえます。

岡選手曰く、普段から鍛えている自分
(岡選手のこと)でも、かなりきつくて
脱落者も何人かいたとのことです。

応募者も100名以上おり、その中から
書類選考を通過したのが13名で、
それだけでもかなりの倍率ですし、
オーディションを受けることができる
だけでもかなりのハードルの高さで
あるといえるでしょう。

ただ、ここで面白いといっては大変失礼
ですのでいけませんが、興味深いところは、
本城さんのように試験メニューをすべて
クリアしたわけではないのに合格すると
いうことです。

岡選手も、自分よりも身体的能力が高い
という方は多くいらっしゃったと実際に
ブログにて語っています。

また、岡選手自身も合格した理由の
ようなものをこのように分析しています。

「僕が良かったのは、自己PRとスパーリング、
あとは持ち前の元気がよかったぐらいでしょうか」

プロレスラーというのは強い、超人で
あるべきなどの身体的要素も必要
でしょうが、それだけではないということ
を言っているのかもしれません。

それが何かということは断言できませんが、
スター性やキャラクターというパーソナル
の部分なのかもしれません。

とにかく、本城選手もこのように
無事超難関のオーディションを合格する
のですが、すぐに入門ということには
なりませんでした。

経緯はよくわからなかったのですが、
実際に新日本プロレスに入門・入寮
することになるのは、
約1年後の2014年12月でした。

ちなみに、岡選手もオーディションの後、
いったん新日本プロレスの親会社である
ブシロードに入社してブシロードクラブ
に所属していましたので、ブシロードの
仕事をしつつレスリングの練習に
打ち込むという体系をとっていました。

岡選手の新日本プロレスの入門は
2016年1月ですから、本城さんよりも
1年ほど遅れての入門になっています。

本城さんも実際に入門はするも練習生と
して1年程度の期間を過ごしたうえで
デビューをすることになるのです。

2016年2月新宿FACEの
LION’S GATE PROJECT1の舞台で
プロレスリング・ノアの
マイバッハ谷口選手との
シングルマッチでデビューを飾りますが、
ギブアップ負けを喫しての
デビューとなります。

「今までやってきたことが全然ダメ、
死ぬまで練習するしかない!」

という言葉が印象的でした。

本城匠の現在と引退の理由は?


しかし、やっとの思いでデビューまで
こじつけたにもかかわらず、デビュー
から2か月後の3月に出場予定だった大会を
ケガのため欠場することになり、そのまま
復帰することもなりませんでした。

そして、2016年11月に新日本プロレスの
公式ホームページからもプロフィールが
削除されてします。

しかし、この件に関する新日本からの
公式見解や発表等は一切ありませんし、
その後本城さんもどこか別の団体や
格闘技の大会に出場したということも
ありませんので、事実上引退していると
考えるのが自然ではないでしょうか。

また、現在どのような活動などを
しているかということも一切わかりません。

本城匠の結婚や彼女は?


本城さんは、新日本のプロフィールが
削除されてから以降についても全く
情報がありませんので、結婚などの
ことについてもわかりませんでした。

申し訳ありません。

まとめ


今回は本城匠さんについてお伝え
しました。

長い期間をかけてやっとの思いで
プロレスラーになることができたのにも
かかわらず、ケガによってプロレスラー
を諦めざるを得なかったのはご本人に
とっては、非常に残念なことだった
はずです。

ただ、これまで誰もでも経験できること
ではないというような世界でいったんは
デビューすることができたというだけ
でも素晴らしい実績であることは間違い
ありませんので、第二の人生もせず謳歌
していただきたいです。