みなさまこんばんは。
今回はヤマちゃんこと山崎一夫について紹介します。
新日本プロレスでデビュー。
初代タイガーマスクである
佐山聡の付き人を務めていました。
その後UWFに移籍。主要メンバー
の一人として活躍していました。
UFW退団後は古巣・新日本に戻り
G1クライマックス準優勝やIWGPタッグ王座を栄冠
数々の名勝負を築きました。
引退試合、入場曲を紹介
(出典元)http://777song777.jugem.jp/?eid=116
山崎は2000年1月4日東京ドームの対永田裕志戦で引退しました。
引退の理由は病気を患っていたことが原因とされていますが、
その病院とは、
肺挫傷と気管支拡張症
運動するたびに呼吸が苦しくなっていき
試合後には尋常じゃないくらい血を履いて、
山崎自身も「もう現役は無理だ」と悟っていたそうです。
37歳での引退。
レスラーとしてはまだまだ活躍できる
年齢なだけに惜しまれる引退でした。
しかし、命あってのプロレス。
このまま現役を続けてたら大変な事になってたかも、そう思うと「引退」という
決断は正しかったと思います。
試合後の引退セレモニーでは花束を持った高田延彦と前田日明が登場しました。
山ちゃんはいつも自分から損な役回りを引き受けてくれた。全部一人で
背負っちゃって…。UWFというものが出来たのは山崎一夫がいたからですよ。
と前田は山崎の功績を語っていました。
ファンからも万雷の拍手を浴び
自身の入場曲である
「Uのテーマ」とともに
山崎一夫はプロレス人生に幕を降ろしました。
この入場曲は「カッコイイプロレス曲ランキング」
でも上位に入るほどの人気です。
イントロが流れるだけで
一気にテンションがあがりますよね!
現在の活動は?
(出典元)https://smart-flash.jp/sports/30427
現在、ワールドプロレスリングの
解説者を務めているイメージが強いですが、
本業は整体師をやっています。
現役時代に病気を宣告された際
プロレスラーとしての限界を感じていた山崎は
医療の専門学校に3年間通って、
引退後すぐに「山崎バランス治療院」という整骨院を開業しました。
年齢、老若男女、体格問わず施術を行っています。
また、整体の本も出しているんですよ。
(出典元)https://www.amazon.co.jp/%E5%B1%B1%E5%B4%8E%E4%B8%80%E5%A4%AB%E6%B5%81%E8%87%AA%E5%88%86%E3%81%A7%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B%E6%95%B4%E4%BD%93%E8%A1%93-%E5%B1%B1%E5%B4%8E-%E4%B8%80%E5%A4%AB/dp/4278049048
元プロレスラーだけあって
身体の事はよく分かってるし
パワーもあるから
整体師としては適任かもしれません
。一度は行ってみたいものですね。
山崎一夫の強さはどれくらい?
(出典元)http://murasakilg.blog64.fc2.com/?tag=%E5%B1%B1%E5%B4%8E%E4%B8%80%E5%A4%AB
山崎の魅力はなんといってもUWFで鍛えた
鋭い切れ味の打撃、サブミッション、スープレックスです。
1998年のG1クライマックス、蝶野、健介、藤波と
歴代のチャンピオンを次々と倒し、
決勝では橋本に敗れたものの準優勝と
強い印象を多くのファンに与えました。
タッグ戦線でも活躍。
当時タッグの名勝負が少ないと言われていた
新日本において、蝶野、天山組vs山崎、飯塚組のIWGPタッグベルトを巡る攻防は毎回名勝負でした。
また、レスラーからの信頼が厚く、1999年の東京ドーム大会で、小川直也との試合が
決まっていた橋本真也から「セコンドに付いてほしい」と依頼され、セコンドに
着くことなりました。
山崎は橋本だけでなく
現場監督だった長州力からも頼られていました。
長州って、「クソぶっかけてやる!」とまで
言い放つくらいUWFが大嫌いでしたよね、
しかし、そんなUWF嫌いの長州でも
山崎だけには気を使っていたようです。
山崎がUWFに行った際も常に
気をかけていたようで、新日本に復帰できたのも
長州のおかげだそうです。
橋本からも長州からも頼りにされ
若手からも慕われる存在であることから、
山崎一夫がいかに強く
そして凄いってことが分かりますね。
まとめ
(出典元)https://ameblo.jp/muto-ajpw/entry-12332091010.html
真面目でいい人のイメージが強い山崎一夫。
そのエピソードはいくつかあります。
UWFで苦楽を共にした後輩・垣原賢人が悪性リンパ腫という血液のガンを患った際、
カッキー応援隊なる垣原の治療を支える組織を立ち上げ、山崎はその代表を務めました。
また前田日明と藤原喜明のトークショーに
山崎は観客の一人として参加してました。
参加していた理由はただひとつ、「お世話になった先輩に挨拶がしたかった」からでした。
「筋を通す」「恩義を忘れない」「どんな時も自分ではなく他人を思いやる」
山崎一夫のこの姿勢は、日本人としてあるべき姿だと思います。
これからも活躍を期待しましょう!