先日2月に両国国技館で行われた
ジャイアント馬場没20年追善試合にも
顔を出して今でも現役バリバリの
大日本プロレス小鹿会長について掘り下げていきたいと思います。
グレート小鹿(実はグレートこしかと読むそう)北海道・函館市出身 1948年生まれ。身長185センチ。
大相撲から1963年日本プロレスに入団➡1973年全日本プロレスに入団
➡1988年地元函館にて引退➡その後プロモーターなどを経て1995年
大日本プロレスにて現役復活。今に至る。
全日本プロレス時代は故大熊元司と極道コンビというタッグチームで
前座カードを盛り上げてきました。引退試合は普段プロレスの試合など行わない市内のど真ん中の陸上競技場で行うというプロモーターとしての実績を上げ、
そこから天龍率いるWARの営業部長やタレントプロデュースなど行い、1994年NOW(ケンドーナガサキ)の団体から派生するように大日本プロレスを設立、
社長に就任し、活動を行っています。
グレート小鹿の現在の活動は?

グレート小鹿は現在も大日本プロレスに
所属していますが2019年2月に行われた
プロレスリングマスターズ
後楽園ホール大会ではタイガー戸口
将軍KYワカマツと
合計223歳古希タッグを結成し試合にも出場しています。

そして現在は全日本プロレスと
対抗戦を行っており、激しい
戦いをしておりますが
小鹿会長のブログでも控室の様子や
選手の戦いぶり、会場の様子などが掲載されており
熱く一緒に戦っています。
グレート小鹿と結婚した嫁や娘は?

いろいろ調べてみましたが
情報が見当たりませんでした。
情報をお持ちの方(関係者の方ならすぐご存じなのでしょう)
お寄せください。
グレート小鹿おススメの試合動画

グレート小鹿を代表する試合の映像
といえば大日本プロレスのデスマッチや
コスプレ社長の呼ばれ色々な格好のま
まの試合スタイルなどありますが
大日本プロレスと新日本プロレスが
東京ドームに上がった試合があまりにも印象的です。
事の発端は1996年力道山OB会プロレス
という横浜アリーナで行われた特別興行の試合で
新日本の当時現場監督だった
長州力が大日本初めインディーの試合を見て
「あんなのプロレスじゃない」という発言に
当時の東京プロレスなども名を挙げて
メジャー新日本に喧嘩を売ろうとしましたが
実行に移したのは小鹿社長。
1996年9月の愛知県体育館に殴り込み
大日本の選手を率いて
「なにが新日本だ、メジャーだ。俺たちをなめるな」
と宣戦布告し強引に翌年の新日本プロレス東京ドーム大会での
対抗戦を実現させた。みずからはマサ斎藤と対決。
対マサ斎藤
入場の際にはダイナマイトを体につけて入場。
レフェリーの山本小鉄からも
厳しいチェックを受けながらの
完全なるアウエーでの試合であったが
インパクトは絶大なものでありました。
ちなみにそのときの他の大日本勢は
中牧、ナガサキ、田尻(TAJIRI)であった。
対ポーゴ、シャドウWX
小鹿のコスプレ真骨頂の試合でも
ありますがこの試合形式。タイトルが長い。
月光闇討ち蛍光灯デスマッチ。
大日本プロレスといえば蛍光灯。
切れた蛍光灯を見ると大日本プロレスに差し上げに
行かなくちゃと考えてしまうほど(?)蛍光灯デスマッチは毎度凄いですよね。
ちょっと心臓が弱い方はご覧にならないでください
対ミスターポーゴ
グレートポーゴ対カンフーリーということで
カンフースタイルの小鹿会長ですが
かなり苦戦を強いられてポーゴの狂気攻撃に苦しんでいます。
コスプレの試合を
楽しみに再生された方はかなりショッキングな
シーンの連続に言葉を失ってしまいます。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
小鹿会長は実はこしかと
読むという発見もありましたが
力道山最後の付け人、ジャイアント馬場の
運転手も経験するなど人望も厚かった
小鹿会長。TAJIRIやあの本間も大日本出身ですし
さまざまな選手を生み出しこれからも
存在感を示して現在は全日本プロレスとの対抗
戦真っただ中ですが大日本プロレス
小鹿会長ここにありというのをまだまだ見させていただきたいですね。