新日本プロレス

獣神サンダーライガーの引退の理由や素顔は?結婚した嫁や子供は?

プロレスファンの皆さん、こんにちは。

2020年1月4・5日に開催される
新日本プロレスの東京ドーム大会で引
退を発表している

獣神サンダーライガー選手

について今回はご紹介していきます。

これまで30年間のライガー選手とし
ての活躍は、プロレスを少しでもかじ
っている方であればご存じでしょう。

引退の理由や、ライガー選手になる前
のあの方のことやプライベートにも少
し突っ込んでみようかと思っています。

獣神サンダーライガーの引退の理由とは?


まずは、ライガー選手のプロフィール
をおさらいしておきましょう。

  • 本名:山田恵一(本来は非公開)
  • 身長:171㎝
  • 体重:95㎏
  • 生年月日:1964年11月30日
  • 出身地:広島県広島市
  • 所属:新日本プロレス
  • スポーツ歴:レスリング・柔術・骨法
  • デビュー:1989年4月24日
  • 引退日:2020年1月4もしくは5日

上のプロフィールは、ライガー選手の
ものです。

ちなみに、山田恵一さんとしてのプロ
フィールも見ていただきましょう。

  • 本名:山田恵一
  • デビュー日:1894年3月3日
  • 「リバプールの風になった」時期:1909年1月ごろ

ライガー選手は、

獣神サンダーライガーとしては丸30年

素顔の時を含めると35年

という長い長いプロレスラー生活を送っています。

まさにプロレス界で近年言われている

「リビングレジェンド(生きる伝説)」です。

そんなライガー選手が2019年3月
7日旗揚げ記念の一夜明け会見で突然
引退を発表しました。

前日の旗揚げ記念での
IWGP Jr.ヘビー級タイトルマッ
チにおいて石森太二選手に惜しくも敗
戦しかもギブアップで負けてしまいました。

その後のバックステージコメントで
次のようなコメントを残しています。

「今日の試合(石森選手との)を通し
て、いろいろと考えさせることがあっ
て。近いうちにいろいろと語らせても
らいますよ」

最後は、少し恥ずかしがるように笑っ
てごまかすような感じだったのですが、
明らかに何かを決めたということを匂
わせる発言をしていました。

そして次の日の会見で

「来年の東京ドーム大会で引退させていただきます。」

という短くもはっきりとした口調で引
退を決断した発表をしました。

何となくわかっていたかもしれません
が、いざライガー選手ご本人がはっき
りと明言された以上は、記者も多くの
質問をしていました。

気になる引退を決めた理由これこそが、
何ともライガー選手らしいさっぱりと
したもので、

「昨日の試合をやってい
る中で、自分はもう伸びしろがない
思った。培ったテクニックなどはいく
らでも活かせるけど、伸びしろがもう
ないと思った以上、ベルトを取れたと
しても引退発表しようと思っていまし
た。」

というものでした。

あと、「自分の美学として、まだやっ
ているのかと思われるよりもなんで辞
めちゃうのと思われて辞めたい。」と
いうことも言っていました。

また、

「レスラーは常に強くなければいけない」

ということも言っていました。

あくまでも、ライガー選手のプロレス
ラーとしての引退とはこういうものだ
という強い信念から生まれたのではな
いでしょうか。

引退後のことは、まだ明言していません。

引退までもう少し時間もありますので、
まずは現役に専念されるでしょう。

ただ、会見の中で

「道場には引退後もいるよ」

というようなこともおっしゃってまし
たので、過去の山本小鉄さんのような
若手の育成に力を注ぐと思われます。

道場には、小林邦昭さんもいてまさに

「レジェンドが新日本の道場を守ってくれる」

という意味では、新日本の上層部の方
や、所属レスラーの方からしてみれば、
とても安心できる道場になるのではな
いかと思います。

獣神サンダーライガーの素顔は?


これについては、いまさらという感は
否めませんが、先ほども本名を出して
いるように、マスクの中身は山田恵一
さんです。

これは、デビューした当初からテレビ
中継においても山田恵一が獣神サンダ
ーライガーになったというようなこと
が再三実況されていたという異色な光
景でした。

しかし、ライガーさん自体、業界紙に
おいてもそのようなことを報じられて
いたということもあって、ある意味
既成事実ではあったのです。

山田恵一さんは、当時では身長も高く
なかったので、日本の団体ではデビュ
ーできませんでした。

そのため、単身メキシコで修行をして
いたのですが、その時にたまたまメキ
シコに行っていた山本小鉄さんに拾っ
てもらい、新日本に入門することにな
ります。

当然、そういった経緯がある以上、
UWF分裂騒動の時であっても絶対に
新日本を離れる選択肢はなかったそう
です。

またヤングライオン時代、ヤングライ
オン杯が始まり、第一回は準優勝、第
二回は優勝し、海外遠征に行くことに
なります。

ちなみに、第一回の時は橋本真也さん
にジャーマンスープレックスでフォー
ル勝ちを収めています。

そして、海外遠征中の1989年1月
ごろ

「山田は死んだ。リバプールの風になった」

と発言し、そこからライガーへの変身を遂げるのです。

獣神サンダーライガーの奥さんやお子さんは?


奥さんは、ライガー選手の
Twitterにもたびたび登場して
いますが、千景さんといいます。

もとは、東京と福岡の遠距離恋愛だった
そうです。

千景さん自体、相当のプロレスファンでした。

もともと大ファンだったテリーファンク
さんが、天龍源一郎さんの引退セレモニ
ーに参加するので、新日本のオフィスを
訪問するという情報を聞きつけると、す
かさず福岡から会いに行くほどの熱狂的な方です。

お子さんは、息子さんがいて貴光さん
おっしゃって20代後半の方です。
ライガーとしてデビューしてしばらくし
て生まれているようです。

息子さんもプロレスが大好きで、
2016年に地元福岡で
KUSHIDA選手とのタイトルマッ
チがあった時には観戦に行きました。

貴光さんは、父を応援することなく、
KUSHIDA選手を応援すると、
ライガー選手の目の前で公言していたの
がテレビで放送されていました。

でも、なんだかんだ言っても父のプロレ
スラーという仕事には非常に誇らしげ
あることは間違いありません。

まとめ


今回は、獣神サンダーライガー選手の引
退などについてご紹介していきましたが
いかがだったでしょうか?

実は、この記事を書いている今日、両国
国技館で鈴木みのる選手とのシングルマ
ッチがあったのですが、とても感動的な
試合でした。

ネット上でも感動の嵐が吹き荒れていま
した。

あと数か月で本当にリングから離れてし
まうのですが、残りの数か月どれだけの
試合があるかわかりませんが、ライガー
選手らしい試合で最後まで楽しませてい
ただきたいです。